司馬文学からロックを学ぶ -「司馬遼太郎」で学ぶ日本史-
●司馬文学はロックだ。
従来の慣習へのアンチテーゼを示す行為=「ロック」
それとは対極にありそうなイメージが司馬遼太郎の作品だ。
しかし、司馬文学は組織のはみ出し者が、慣習を打ち破り、新たな社会を作る過程を描いた作品が多い。
この本は、司馬遼太郎が自身の作品で訴えたかった意味を、分かりやすく解説してくれる。
●俺らリーマンは黒船に驚いた幕府を笑えない
さて、会社組織の中で働く私達は、尊皇攘夷で列強と戦った長州藩や、近代戦力を保有する薩長と戦いながら幕藩体制を維持しようとした佐幕派を笑えるだろうか。
社会人経験が長いほど、仕事の手法や従来の慣習を信じ込んではいないだろうか。
インターネットの進化は情報取得の方法を進化させ、クラウドはインフラへの投資ハードルを下げた。
AIの進化は単純作業のみならず、知的労働と言われた職種から仕事を奪うだろう。
組織体制や時間の使い方といった戦略が、この流れに追いついていない企業が殆どであろう。
ゴールに対しての最短距離での手法を考えだすには、組織や慣習を疑うことがスタートである。
司馬文学は、その為のアクションが従来のルールから外れていたとしても、恥ずかしいことではないと思わせてくれる最高のエンタメである。
ユニクロすげー。けど... -「ユニクロ帝国の光と影」-
●フェアなユニクロ評価。まさに光と影
著者は、アマゾンの倉庫へ潜入し、当時黒船として出版業界を席巻していたアマゾンの内情をルポで書き上げた経験を持つ。
その内容は派遣従業員の厳しさを伝えてはいるものの、ともすれば左翼活動的な表現になりがちな労働者目線でのルポを、中立な立場で書かれているのが好印象だった。
今回もタイトル通り、光と影を記録しており、非常にフェアな内容だ。
寧ろ、柳井社長の経営者としての力と、ユニクロの実力を十分に理解する事が出来る。
特にユニクロ製品の原価率の高さは有名だが、その背景にはアパレル業界では特殊なSPAの手法を採用し、生地から企画・生産まで、一気通貫で自社ブランドでのリリースを行なっている構造がある。
卸や小売での分業構造によるリスク分散が、日本の商習慣では一般的だが、消費者へ安くて良いものを提供するユニクロの凄さを認識させられる。
その光の裏側には、疲弊する正社員や委託工場の中国人労働者の姿がある陰の部分にも著者は踏み込む。
しかし、労働者の酷使という影の部分は、ユニクロに限った話でなく、今をときめく成長企業の殆どが叩かれた経験がある筈である。
特に創業者は自身の高い目標を達成させる為、従業員の福利厚生等は後回しになってしまう事は多々見受けられる。
ユニクロもこの作品で描かれている陰の部分を認識し、従業員の充実を目指すフェーズに入るべく方向性を見出せば、
本作は最高の批判材料となるはずである。
●残念な最終章
本作で柳井社長は著者のインタビューにも積極的に応じている。
だからこそ著者との法定闘争を起こした文庫版の最終章はユニクロの評価を下げる。
適切なマニュアルを敷いているのだからサービス残業は起こらない→だから本作で描かれる疲弊する労働者の姿はフェイクだ。というユニクロの姿勢は、現場を理解していない経営陣の姿を映している。
本作で著者が提示する各店舗へ正社員を一人増やすだけで、労働状況が改善するという案を例えユニクロが導入したとしても、以前営業利益は国内トップクラスだ。
決してユニクロの評価が下がるわけではないのだが…
●従業員の我々より、企業経営陣に読んで欲しい
ユニクロはマニュアルでガチガチ。
そこには従業員の成長や自己実現という夢を描く事は難しい。
この様な現場が自身に合うのかどうか、その点を考える事位だろうか。従業員目線での吸収は。
寧ろ、企業の経営陣には熟読して頂きたい。
経営とは、従業員の満足も担保する義務があるのだ。
社員が会社の資産であるのであれば、その資産の労働価値は常に維持をし続けるメンテナンスが必要なのだから。
疲弊する労働状況への改善手段が、マニュアルやルールの追加でお茶を濁そうとしていないだろうか?
心当たりのある企業はユニクロを決して笑えない。